神様のヒマ潰し

The trick is living without an answer.

人と違うということ

全米で同性婚が合法になった、とニュースが飛び込んできた。

私はハワイに住んでいた時の同級生や友人たちにLGBTの人たちが居て、
帰国してからも大学の同級生や友人にもLGBTの人たちがいる。

最初にこのニュースを聞いたとき、「良かった」と素直に思った。
アメリカという世界に影響力がある国が国家として下した、
公民権運動(私は実際に体験していないけれど)に続く歴史的な決断だと思う。
私は洗礼も受けているクリスチャン(プロテスタント)だけれど、
敬虔なクリスチャンではない(実際教会にもなかなか行けてない)。
聖書には同性愛は罪、と書かれていているけれども、
実際にLGBTの人たちと接してみた結果、彼(彼女)らは普通の人と変わらない。
私たちの生まれ持った肌の色のように、日常的に喋る言語の様に、
どの性の人を愛するかは彼(彼女)らが生まれ持った個性で
どこの誰にもその感情を、権利を、否定されるべきではないと思う。
彼(彼女)らは、至って普通の、どこにでも存在する人たちだ。


よく日本で生まれて日本で育って留学もしたことがない人と、
LGBTの友人について語るとき、特に男性は「怖い」と言う。
まるで自分たちが彼らに狙われているかのような口ぶりで怯えている。
確かに「未知」は「恐怖」に繋がりやすい感情だし、
メディアが潜在的に植えつけたステレオタイプも原因の一つだと思う。

この前ゲイの男友達にお酒を飲みながらその話をしたら、
「別に僕たちの全てをわかってもらえるなんて考えてないし、
こっちにだって誰を好きになるか選ぶ権利くらいはある」と言ってのけた。
彼らだってもちろん好きになる男性の中にも好みのタイプがあるのだ。
だからなんでそんなに襲われるとか心配してるんだ、と未知な男どもに言いたい。


欧米だとカミングアウトは結構あっけらかんと話されるけど、
日本はまだまだ壁が厚いと思う。でもそれはアメリカも同じかもしれない。
カミングアウトすることによって生じるデメリットが、世界にはやっぱりある。
好きな人が何才でも、何人でも、どの性でも、いいのに。
何故違和感を、危険を、偏見を感じる必要があるのだろう。
LGBTだからこう、ではなくて彼(彼女)にも個人の性格の差はあるし、
あって当たり前なのだ。何故社会は誰もかもを型にはめようとするのだろう。

でも私がこんなことを書けるのは、自分がマジョリティだからかもしれない。
民族的には日本で生まれた在日三世の父と日本人の母のハーフで、
思春期はアジア系移民が多いハワイで育ったので人種が問題になることはなかった。
バイリンガルという意味では少しマイノリティかもしれないけれど、
ハワイでの経験は確実に私の視野を広げたと思うから良かった。
小2まで住んでいた日本では父の通称名の名字を名乗っていたので、
父が韓国人だと言うことをハワイで小6の時に初めて知った。
だけど私は日本が好きだし、ハワイは昔住んでいたところだし、
韓国は血が流れているけれど行ったことがないからわからない国、ただそれだけ。

そして耳は補聴器をつけるほど悪く、目はソフトコンタクトの限界を突破し、
精神的な問題はかれこれ7年ほど続いている。
私の方がよっぽどLGBTの人たちより特殊で違っていると思う。


これをきっかけに、世界中で一人でも多くの人が、愛する人と、
当たり前のように結婚して平等な権利をもらえることを祈る。