神様のヒマ潰し

The trick is living without an answer.

あなたが私にくれたもの

PMSを乗り越えクライマックスシリーズ初日を男友達と見たり、
お母さんと買い物に行ったり、試写会に行ってみたりと、
心療内科もよく眠れていることから減薬の方向で進んでいて、
歯医者さんも終わりが見えてきたけど睡眠サイクルは狂ったままで、
たぶん私は1人で居ることに、頑張らないことに慣れてしまった。

先週の日曜日に久しぶりに教会に行った辺りから兆候は見えていて、
安らぎを求めて行ったはずなのに、周囲のテンションに気圧され、
あれ、私なんで全てを委ねることすら出来なくてこんなに苦しいのだろう、
と途中から頓服を飲んで目をつぶって音を聞かないようにしていた。
その夜からご飯が食べられず食べたらすぐ出来る限り吐いていた。
何かが自分の中に残っていることがとても気持ち悪く、
出来るだけ空っぽで居たくてどんどん無気力になっていくのを実感していた。


水曜日に映画を見て、その後にスタバでのんびりと手帳に書き物をして、
映画館バイト時代の友達と先輩と久しぶりのご飯で、
自分が何も持っていないことをまざまざと思い知らされた。
3年ぶりくらいにご飯を食べる先輩はいつのまに結婚していて、
旦那さんとの馴れ初めやプロポーズのこと、今の生活のこと、
友達は最近付き合い始めた彼氏とのことを素敵な笑顔で話していて、
2人ともとても幸せそうで、私に無い「誰かとの関係」をしっかり築いていた。

30歳だからプロポーズしてくれたのかな、と先輩が言い、
あゆももう28歳なんだから!若くないんだから頑張らなきゃ!と
肩を叩かれるたび、ハンマーでガンガン殴られているようだった。
顔はたぶん笑えていたと思うけど、私の片思いなんて独りよがりで、
明確な答えなんてなくて、全てが想像だけでしかなかかった。

帰り道はどうやって帰ったのか覚えていなかったけど家に着き、
トイレに駆け込み胃の中身を全部吐き、胃液の苦さに咳き込む。
部屋に戻ると涙がぼろぼろ出てきてベランダへの窓を見つめながら、
久しぶりに鬱屈LINEを私の鬱っぷりをわかってくれている人たちに
もうコンタクトも外れる勢いで号泣しながら打っては送っていた。

そうこうしている内にお母さんが部屋に駆け込んできて
話を聞いてくれて、おかんセラピーの偉大さが身に染みたし、
今超絶死にたいから何か気がそれそうなことを言ってくれ、の
無茶ぶりLINEに肉寿司や大盛スパゲティの画像を送ってくれたり、
思わず笑ってしまう言葉を並べてくれ、久しぶりにきたなーと
次の日の朝にも返事をくれた友達たちにも本当にお礼を言いたい。


その夜私の体内は連日吐きすぎて、睡眠サイクルが狂いすぎて、
おまけにありえないくらい泣いたせいで壊れてしまったようで、
その晩一睡も出来ず2時間おきに計る熱は上がっていくばかりだった。
次の日は友達たちとワイン作りのバスツアーだったのに、
結局38度をたたき出したのでお詫びのLINEを入れ、病院が開くまで待ち、
いつもの内科にタクシーで向かい大量の点滴を打ってもらった。

そこからはただひたすら寝て、金曜日の夜までほぼ寝続けて、
自分が幹事の飲み会でお酒を飲まないことにして顔だけ出すことにした。
2か月に1回くらい飲む男友達2人と女友達とのいつものメンバーで、
わいわい話をしながらそろそろ終わりかなと思っていたら、
プライズで誕生日ケーキとプレゼントやカードまで出てきた。
最近元気無いから密かに計画してたんだ、と言われて
誕生日が近い男友達と合同のプレートのケーキを4人で食べた。
家族以外の人にこうやって祝われると思ってなくてこっそり泣いた。


薬が効いてきたのかやっと食欲も少しずつ戻ってきて、
体調をコントロール出来ない自分に未だに嫌気がさすけれど、
とりあえず衝動的にまた自殺未遂を試みないで本当に良かった。
薬を色々持って、沖縄へはまた1人になりに行こうと思う。

私は常に自分と人を比べて、優劣をつけて、勝手に落ち込む。
そこからますます自分が嫌いになる負のスパイラルに入り、
躁状態になろうとしてはしゃぎ、疲れ、また鬱屈する。
体調管理ってどうするんだろう、疲れないって、どうやるんだろう。
皆、何故そんなに気力や体力があるのだろう、羨ましい。
いや、羨ましいと思うことすら甘えなのだろうか、深夜にぐるぐる考える。