神様のヒマ潰し

The trick is living without an answer.

明日もまた

今日TLで3月のライオンの新刊が出たことを知り、
家の本棚をほじくり返して10巻までをさっきまで読んだ。
やっぱり素敵な作品だなあと、時々涙を流しながら読んだ。
ちほちゃんの施設のあたりは去年入院していた自分と重なり、
読む手を少し止めてしまったけれど、少し深呼吸したら読めた。
大丈夫、私は今日も家でのんびり一日を過ごすことが出来た。

京都旅行からやたら眠くなり、日中は12時間から14時間は寝ている。
夜1時ごろには寝て、朝10時にいったん目を覚ますものの、
朝ご飯を食べるとまた眠くなってしまい、昼過ぎまで眠る。
おかげで木曜日の診察では中々減らなかった眠剤の容量が減った。

現実から寝ることで逃避してるんでしょうか、と先生に相談すると
やっぱり仕事のことが急だったからショックだったのかもしれないね、
でも無理に答えを出す必要はないよ、時間はあるから、と優しい。
去年の今頃は入院して退院しましたね、と懐かしむように言うと
先生はしっかりとした口調で君はあれからとても良くなったよ、
少しずつだけど人のせいにすることをやめて、自分と向き合おうとしている、
6月だって揺らいだけどしっかり持ち直して、治りたいと思っている。
5年近く診てる僕が言うから本当だよ、と言われて少し泣いた。


日曜日の夜に祖父母の建て替えて引っ越しを終えた家に到着すると、
おじいちゃんは相変わらずリビングのテーブルで阪神戦を見ていた。
家が変わっても変わらない姿に安心し、いつものおこづかいをもらった。
お母さんは野球に興味がないので、筋金入りの阪神ファンの祖父母は
私が来るといつも野球の話をしてくれるのでそれを聞くのが習慣だ。

幼馴染の彼からはLINEが京都に着いたくらいに返ってきて、
肉焼いて食べたんやで、そうなんだ京都着いたよ、自分も実家着いた、
とテンポ良くやり取りが続く。PCがないので暇なのだろうと察した。
引っ越しのお手伝い、明後日夜暇そうなんだよね、と言うと飲みに行こうか、
という話になってギリギリまでわからないけどいい?と聞くと、
四条で適当に時間つぶして待ってるよ、と優しい答え。

そしてお母さんに彼の名前を隠して出かけたい旨を伝えると、
今回のあなたの旅行の目的は残る引っ越しのお手伝いと、
おじいちゃんおばあちゃんとお話しすることなのでそれは次回ね、
とあと2週間で28歳になるというのに中学生みたいなことを言われた。
でも確かにそうだよなと納得し、彼には翌日体調が悪いと小さな嘘をついて、
(実際に誰にも言わなかったけどリアルに寝不足で少し熱が出ていた)
「そういう運命なんやろな、また今度な」(原文まま)という
若干解説が欲しい「運命」とやらををスルーして謝り倒して
のんびり阪神のデーゲームを元野球部のおじいちゃんの解説を聞き、
座布団を枕に昼寝をするという贅沢三昧をして過ごした。


京都から帰ってきてから元彼に繰り上げた登山をドタキャンされ、
怒りのあまりクッションを全力で壁に投げつけ(壊れるものは投げない)
筋肉痛ごときで当日にドタキャンなんて前日の疲れ具合から予測しとけよ、
とリスケの日にもう一言詫びてこなかったら怒り狂いそう、と
軽く荷造りしたリュックにすでに強い方の頓服を薬キットの中に詰めた。

たぶん感情のアップダウンが激しいから疲れて眠いんだろうな、
と木曜日からつけ始めた日々の睡眠記録を眺めながらふと思う。
あと体重がこの前42キロ台から40キロ台に落ちたので、日々の体重も書く。
今日はお風呂から上がると41.6キロ、ご飯後は42キロ台には乗っていたいのに。
とりあえずストレッチと腹筋で少しずつ筋肉をつけるようにしよう。

ビコーズ

昨日も毎朝10時に起きる自分との約束は無事守れ、
一つ自分を褒めていい天気だー!とカーテンを開ける。
最早日課になっている友達2人とのLINEを打ちまくり、
婦人科に行き、友達の舞台のお手伝いをして新宿へ向かう。


すっかり友達に戻った元彼と待ち合わせのスタバの場所で混乱し、
15分くらい迷ってやっと合流、相変わらずシャツがおしゃれ。
来週の高尾山と来月の神奈川のどっかの山に登るための
装備を買うべく、アウトドアショップにヒールで踏み込む。
ウェアとリュックの一式を買いそろえようとしたのだけれど、
俺機能性重視やから山ファッション全然わからん、と放棄され、
店員さんに頼り最後にタイツの色の組み合わせだけ選んでもらった。

次は彼の用事のために踏んでフレームが折れたメガネの修理、
目白のニッチな酒屋で私は輸入クラフトビールを3本買い、
(前職でコンタクトを取ったビール屋の銘柄があって嬉しかった)
彼は延々と悩んでジンやらでかいビールやらを買っていた。


夕飯何食べようか、と特に何も考えていなかった私たちは
渋谷の私が好きなクラフトビール屋に行くことにして移動した。
ここのところずっと食べたかったペパロニピザをメニューに見つけ、
おのおの頼みたいものを頼み幼馴染の話を彼に向かってする。
今日の私の初挑戦ビールの2つチョイスは両方とも当たりで、彼のは外れ。

不思議だ、ひと月前までは彼のことでもやもやしていたのに、
私はすぐ次の人を見つけ夢中になって彼に向かって喋っている。
でもこれが今まで自然だったんだよなと思うし、一歩近づいてまた離れて、
距離を確立した私は前より彼に対して素直になれていると思う。
私が喋り、彼が聞き、私の他人に言えないどす黒い思いを吐き出して、
ビールを片手に笑いあうのが利害関係が一致していて楽だ。
この関係性が他人から見れば非生産的だろうとなんだろうと、
今私たちが良ければそれでいいのだ、人がどう思おうと構わない。


幼馴染の彼は昨日から会社の先輩たちとキャンプに出掛け、
写真送って!と頼むと律儀に自然満載の写真を送ってくれて、
写っていた川で釣りするの?と返した質問は既読スルーされている。
そんな彼は今日京都の実家に今頃帰っているはずで、
私は今PC片手に新幹線で祖父母の引っ越しを手伝うため京都に向かっている。
(暇だろうからiPhone6S用のポケットWiFiを活用することにした)
彼も何か向こうのご両親に言われたりするのだろうか、
それとも先輩たちに昨日すでに何か言われているのだろうか。

好意を伝えるすべは先週でだいたい出し尽くしたと思うから、
今の私に出来ることは少し距離を置いて、でも彼の日常に入り込むこと。
たまに私を思い出して、ふと連絡してもらう存在になること。
駆け引きは苦手で常に自分の気持ちを押し付けてばかりだから、
その過ちを今回も繰り返さない、彼とのLINEを非表示にして、
私は彼の存在を少し忘れながら家族と過ごし、自分と向き合おう。

振り出し

どうも、本日から3年連続の秋から無職です。
働く意欲が今は全くないので完全なるニートです。

全ての始まりは火曜日、部長に夕方会議室に呼ばれ、
見せられたのは2枚続いたメールのプリントアウトで、
俺もさっき見たばかりで明日の中国出張のために帰った社長に
これを本人に言えって言われて全然状況が呑み込めてないんだけどさ、
と指でさされた場所を読んでいくと私の解雇通知だった。
退職金を渡して解雇を言い渡してください、と書いてあった。
気付いていたけどこの会社は立ち上げから全く収益をあげられてなく、
ぶっちゃけリストラを開始した中国本社の決断だそうで、
メールを翻訳して打った専務さんは本当に残念がっていた。
たぶん私の担当していたプロジェクトは退職後即刻中止になるだろう。

ああ、これは泣いても無駄だ、すぐこんな会社辞めてしまおう。
そう思った私は手帳を取りに向かい、じゃあ9月末で退職で、
失業保険すぐ出してほしいので会社都合にしてください、
有給消化するので逆算して最終出勤日は明後日でお願いします、
と部長がびっくりするくらい淡々と告げとりあえず今日は帰っていい、
明日引き継ぎやって、明後日挨拶する以外出社しなくても構わない、
と俺が代わりに辞めてやりたいくらいだから出来る範囲の希望は聞くよ、
と部長の言葉に甘えて家に帰って少し泣いてひたすら寝た。


今もTwitter以外では家族と仲のいい友達何人かにしか言っていない。
京都の幼馴染にも、明日来週に高尾山にハイキングに行く元彼にも、
なんだろう、恥ずかしくて情けなくて言えていない。
結局今回も1年勤めるという目標はかなわなくなってしまった。

今日までの4日何が出来るかなと色々考えたのだけれど、
仕事のことは聞かれるまで自分から何も言わないようにします。
モラトリアム期限は来年の2月のカンボジア旅行の終わりまで、
(まさかのエアアジアはキャンセルが出来なかった)
日課を作って、規則正しい生活をして、自分自身と向き合って、
出来れば病気を完治とは言わなくても、薬を飲まなくてもいいように、
寛解のレベルまで持っていくのが目標ですと先生に宣言。
その目標に押しつぶされないように少し気楽にいこうね、
と優しく言ってくれたので念のため再診は来週になった。

金曜日の午前中は?すいませんモネ展行きたいんです、
じゃあ土曜日は?すいません元彼と高尾山登ってます、
というと先生は笑って疲れすぎないようにね、と木曜日にしてくれた。

両親にはとりあえず10月いっぱいは何もしないと宣言し、
もともと私は社会人に向いていないと考えているらしいお父さんは、
まあのんびりやりなさいよ家も食事もあるんだし、と頼もしい。

 

けどそんなお父さんが昨日珍しいことで怒った。
朝のんきに歯磨きをしていたらリビングに呼ばれ、
連休中に母方のおじいちゃんの家の引っ越しを手伝うついでに、
幼馴染のところに一泊して近所で映画でも見ようと計画を練っていて、
ばれたらめんどくさいから関西の友達のところに泊まることにしていた。

静かに怒っているトーンで本当に奈良のその子んちに泊まるのか、
幼馴染のとこに泊まるんじゃないだろうなと言われた。
今まで私の交友関係に口を出してきたことがないお父さんに
あまりにもびっくりしてしまい言葉を失っていると、
あの子はお前の幼馴染以前にお父さんの友達の息子なんだ、
今はおじさんのお葬式とかいろいろあったばかり大変なんだから、
これ以上状況をややこしくしないでくれ、頼むから、と続ける。

こういう時のお父さんには何を言っても無駄なので、
大人しく了承して幼馴染に事の顛末をLINEすると、
こっちもなんか言われそうやな、実家帰るのめんどくさいな、と
なんだか申し訳なくなって土下座スタンプを連投するくらいしか
私に出来ることはなかった。少し気まずい雰囲気になった。

お昼寝から起きたらお父さんはなんか普通で、
ここんとこで4キロ痩せたよ、となんだかしょんぼりしていた。
ここ数週間痛いと言っている背中に湿布を貼ってあげると、
UFOのソースの中毒性について語り合い、すっかりいつも通りになった。
何もかも全部幼馴染に言うことはなかったかな、と寝る前に思った。


いつもそうだ、私は言わなくていいことまでいつも口に出してしまう。
そのあとにいつも言わなきゃ良かった、と取り繕うとして、
それに失敗して失言を重ねてその重みに押しつぶされそうになる。

今回のモラトリアムの目標は口に出す前に、送信ボタンを押す前に、
3回考えて送ること。何もかも遅すぎることはない。
あとモラトリアム期間の目標は10個あるけどそれはおいおい。

明日は友達の公演のお手伝い、そして元彼と登山用のリュックを選んでもらい、
何故か目白くんだりまでニッチな酒屋に行くらしい。
とりあえず聞かれるまで仕事のことは黙っておこう。

首の痛みと空腹と

土曜のワンオクのライブで空元気も相まって
踊り叫びヘドバンし過ぎ(前の人が3人くらい移動していった)
疲労感に任せて寝ようと薬を飲んでうとうとしていたところに、
葬儀場に居る幼馴染から珍しくLINEがぴろんと届いた。
「おじさんの息子の金髪が予想以上に衝撃やで」
とのことでしばらくLINEをしながら0時過ぎに少し電話をした。

相変わらず優しい声だなあ、と思いながら眠りについて、
朝ヘドバンの後遺症で首が痛くて目が覚めた。
湿布で1時間ちょっと応急手当をしつつ喪服に着替え、
お母さんと妹たちと4人で新幹線に乗り込み、目指すは京都。
着いたらお父さんが出口で待っててくれてて、葬儀場へ向かう。

子供組は幼馴染とおじさん息子くんと娘ちゃんで、
息子くんと娘ちゃんと会うのは5年ぶりくらいだったので
第一声は「大きくなったねえ…」ともうおばさん丸出しだった。
お久しぶりです、と礼儀正しく挨拶する息子くんはもう大学生で、
髪の毛10分前くらいにスプレーしてんで、と幼馴染に耳打ちされた。
おばさんにおじさんの顔を見てあげてね、と言われ
当たり前だけどおじさんは動かなくて、でも「あゆちゃん久しぶりやなあ」
と、おじさんのいつもののんびりとした声が聞こえた気がした。
おじさん今までありがとうね、と少し上を向いて語りかける。

そこからホテルに荷物を置いていたお母さんと妹たちが来て、
おじさんとお父さんと付き合った時から友達だったお母さんは泣いていた。
まだ何も始まっていないのにもらい泣きしてしまって、
隣の席に座った幼馴染の横でめそめそしていた。
そのあと手伝うことがない妹たちは私たちの一列後ろに座り、
お通夜開始までの時間をどうやってつぶすか作戦会議。
育ち盛りの彼女たちは食料品の買い出しに行き、
その間彼と小一時間くらい喋っていたらだんだん眠くなり、
肩を借りたらお父さんにそこ!ひっついて寝ない!と怒られた。


しょんぼりしていたら、よし俺らもなんか食べに出よ、と彼が言う。
ショッピングモールがあるからそこで探すことにして、
お母さんに報告すると、おじさんたちの好奇の目に晒されながら出てきた。
いやあさっきはごめんね眠気に負けてTPO考えてなかった、
と腕に手をかけて本気で謝ると、ほんまやでー、と
手がポケットから出てきてそのまますとんと手をつないだ。
もうなんかオープンにしていくのかと思ったわ、と言われて
いやいや何をオープンにするのよ、と素で聞き返したらはぐらかされた。

フードコートまでの4階分、彼はこの前の東京で叩き込んだ
エスカレーターの乗り方を覚えていて、ちゃんと後ろに立ってくれる。
共に喪服で日曜日の夕方のフードコートに居る私たちは浮いていて、
何にする?と少し悩みこの時間だとちょうどいいのはたこ焼きかねえ、と
8個入りを買った彼から2個もらうことにさせてもらった。
先に食べてええで、と言われてわーいと鰹節をつまんだら、
たこ焼きを撮ってるっぽかったので、慌てて手を引っ込めた。
まさか私入ってないでしょうね、と聞くとばつが悪そうに携帯を見せてくる。
携帯の中の私はとても嬉しそうに笑っていて、あとで送ってね、と許した。

食べて帰り道も葬儀場の前まで手をつないで、
控室に合流して隣に座ってさっきの写真を送ってもらうと、
こんなんもあんで、とこの前の土曜日のお肉と私の写真も出てきた。
何この隠し撮り聞いてないよストーカーめ!と少し笑い、
皆で世間話をしていたら彼のお母さんが登場し、私の方に突進してきて
「その節はお世話になりまして」と全く目が笑ってないトーンで言われ、
同棲していた元彼のお母さんと同じ姑オーラを全身で受け止めつつ、
もう正座して「すみませんご報告してませんで!」と平謝りだった。


その後もお母さんは妻チームと居るし、妹たちは2人で楽しそうだし、
とお通夜の席も彼の横、そして隣は彼のお姉ちゃんと、不思議な並びだった。
そこから長かったお通夜が終わり、少し泣き、終わったあとは
ご親戚の宴会の準備を手伝ってテーブルを設けてもらい彼と端っこに座る。

そこからお酒の入ったおじさんチームに誰が始めたのか、
光の速さでディズニーデートの情報が妻チームにも共有され、
うちお母さんと彼のお母さんが2人で協議を始めたのを横目に、
もうやけくそになって彼と行きましたよ何か、とあっぴろげにして
4個下の可愛らしいおじさんグループの娘ちゃんにお酌をしてもらいながら、
アラサー2人は可愛い女の子にお酌してもらうのはいいねえ、と
完全にほろ酔いで飲んでいたら妻チームの一番若い奥さんに
「この前会った時は大学生だったのにねえ」と回心の一撃が心に刺さった。

そうなんですよ来月で28なんですよもう、と切なげにつぶやくと、
後ろから彼の腕が伸びてきて、これ以上言わんといてあげてください、
と若干色んな感情が渦巻いてきて泣きそうだった目元をふざけて隠してくれた。
ありがと、と手を持って元の位置に戻すと上からかぶさってきたので、
テーブルの下で手をつないで、京都駅でご飯を食べてくる妹たちを見送った。
俺も一緒に出るわ、と言われてたから帰り際に皆に挨拶をして、
最後に挨拶したおじさんのお姉さん(私は初対面)にまで
「2人でディズニー行ったんやって?仲良しやねえ」と言われて
情報網怖い!と言いながら駅まで相変わらず手をつなぐ。


いつも酔っぱらうとこんな人にひっつくん?と言われて
元々人は選んでるし、この前のディズニーでいろいろ思うところがあって、
もう自分を安売りするのに疲れたからやめることにして、
あれから誰ともこんなことしてないですよ、と素直になってみた。
彼は私の過去を知ってるのでどこまで信じてもらえたかわからないけど、
なんか言いたくなってしまったのは私のエゴなのだろうか。

さっきも全然食べてなかったやろ、ちゃんと食べな、と言われて
すいませんね、どうせあなたが好きな巨乳にはなれませんよーだ、
とむくれると最近はあんまりこだわりないけど、自分は痩せすぎやで、
と言われてあれ、なんかディズニーの時とトーンが違うなと思った。
じゃあ次は11月ね、と新幹線乗り場まで送ってもらい、
彼の姿が完全に見えなくなってから少しにやけた。


まだ踏み台なのかな、それとも少しはこっちを見てくれてるのかな。
彼から新幹線に乗った直後に送られてきたお蕎麦の写真と
「ちゃんと元気に飯食えよ」と添えられたメッセージを見ながら、
少しお腹が鳴ったので、ラーメンを食べるよ。

薄い線の上を歩く

昨日の大雨で社長のやる気がお昼で切れてしまい
よし帰ろう!とアポから帰ってきて早々に帰宅命令が出た。
商談も成立したし良い気分で帰り、のんびり録画したYOUを見ながら、
夜ご飯は唐揚げだったのでさらにテンションが上がり、
もりもり食べてリビングでくつろいでたらお母さんに呼ばれた。

「大事な話です」と切り出されついに離婚か、と思ったけど、
内容はお父さんの親友の高校生から同級生のおじさんが、
今朝くも膜下出血で倒れてそのまま亡くなった、と言われた。
信じられなかった、小さい頃から可愛がってもらって、
私が中学の時にきっかけは忘れたけど本物の流しそうめん見せたる!
と竹を1本丸々どこかから切ってきて器用に中も削り台も作り、
幼馴染の家の坂の傾斜を使って同級生グループのおじさんたちと、
その子供たちでそうめんを流して、そのあと花火をした。
いつも皆をちょっと後ろから優しく見守ってニコニコしていて、
そんなおじさんの様子を横目で見るのが私は好きだった。

お父さんは酔うとよく昔おじさんたちとの武勇伝を語り、
どの話にも必ず出てくるのがおじさんだった。
私たちはおじさんの家族とお父さんのことを考えてボロボロに泣き、
お通夜に出るためのスケジュールを即座に組み、
お父さんをどうやって励ますべきか、いや、励まさない方がいいのか、
むしろお父さんはどうなってしまうのかを心配した。

良い人ほどあっけなく逝ってしまうもので、
残された私たちはただ呆然とするしかないのだろうか。


部屋に戻って幼馴染に電話していい?とLINEすると、
即座に通話がかかってきてタイミングいいな、と少し笑った。
あれやろ、うんさっき聞いた、なんか実感ないな、うん、
お父さんこっち来てるんやってな、うん、と会話が続く。
日曜日行く?と聞いたら行くに決まってるやろ、と言われて
じゃあ会えるね、スーツ見るの初めてだね、とか続けながら
その後はおじさんの思い出話や11月のUSJの話をを30分くらいした。

両親がいつ居なくなってもおかしくない年になったんだな、
と電話を切ってパソコンの画面を見つめながら考える。
そしてお父さんの悲しみを想像しようとしたけれど、
私には親友が居ないかもしれない、と気付いてしまったことも。
そもそもこの年齢で親友、ってどうやって確認するのだろう、
私の友情の片思いばかりなのではないかともやもやして、
もうなんかテンション上げようとWOWOWKREVAの前夜祭と、
ロッキンの1日目の録画を続けて所々飛ばしながら見た。

そしたらロッキンのFear, and Loathing in Las Vegasで、
観客の中に自分を発見してしまい、深夜に1人で笑った。
声を押し殺して笑いすぎて少し涙が出てきて、
この涙は何の涙なんだろうな、とそっとテレビのスイッチを切る。

羽根を広げて

今週は今年で一番楽しみにしていた週だった。
水曜は念願のMaroon5、今日は8年ぶりのミスチルのライブ。
どちらも私の鬱屈とした思春期に寄り添ってくれた音楽たちであり、
ここ最近の解離気味のふわふわした精神状態を考えると、
その鬱屈とした日々に一気にフラッシュバックしてしまう危機もあった。

水曜日は会社を少し早く出て、品川から新横浜まで
時は金なりと3回つぶやいて乗り込んだ新幹線で13分で到着。
グッズに並び、行くはずだった大阪がキャンセルになって
お願いだから友達断って私に行かせて!と無茶ぶりしてきた妹を待ち、
(本当に友達が聖人じゃなかったらどうするつもりだったのだろう)
Tシャツも頼まれたので写真撮ろう!と言ったらすんなり了承してくれ、
2ショットが何年振りか真剣に考え、あーだーこーだいいながら撮った。
正確に言えば現代っ子の妹の自撮りスキルに頼って撮ってもらった。

席は遠かったけど、日本で1公演しかない場に居るのが奇跡なので、
特に何も考えずただ気ままに音を楽しむことにした。
楽しそうに踊り狂い、写真を撮りまくり、叫んでいる妹を横目に
ライブ後にTシャツは一足早い誕生日プレゼントとしてあげよう、
と言うとわーありがとう、と素直に喜んでいる彼女を見て
久しぶりにお姉ちゃんらしいことが出来たなと嬉しくなった。

青春の名アルバムTOP10に入る1stからシングルは全部やってくれ、
She Will Be Lovedと新幹線で絶対聞くMakes Me Wonderで歓喜し、
彼らの曲で一番好きなSunday Morningはさすがに泣いた。
あの曲は気分が少し沈んでいる雨の日とかによく聞いたな。
サビの伸びとピアノの軽やかなメロディーが本当に好き。


今日の昼は一時帰国している8歳下の下の妹と2人でおでかけで、
たまたま流れてたテレビCMを見てこれ見たい!と言われた
ピース・オブ・ケイク(アメリカ在住だから邦画は貴重)を見た。
多部未華子のしたたかな可愛さと綾野剛の自然な人たらしさにやられ、
意外と笑えるなと思ってたら時々私にぐさっと刺さる台詞が何か所か。
案の定見終わった後、妹(アメリカ人の優しい彼氏持ち)に
「あゆもさ、途中の台詞にもあったけど男の人にばっかり頼ってないで、
色々頑張ってみたら映画の最後みたいなことがきっと起きるよ」
と思いっきり私の心臓めがけて真実の槍をぶち込んできて続ける、
「自分を誇れるようになったらちゃんとそこを評価してくれる
いい人が現れるよ、そのためにはもうちょっと自分で努力しなきゃ」
本当にこの子は今年20歳なのだろうか、真っ当な意見過ぎてため息が出る。

妹たちは私が幼少期から延々と情緒不安定なところを見て育ち、
ふらふら生き続けるところを見て私と同じような過ちを犯さず、
しっかりと自分の足で歩き、自分の意見を持って決断し、
それゆえ彼女たちにふさわしい友人や恋人たちに日々愛されている。
私は彼女たちにもうこいつはだめだ、何をしても変わるまいと
コミュニケーションの減少から見放されたのかなと思っていたけど、
ちょうどいい距離感で見守ってくれているのだなと少し思えた週だった。
彼女たちにとって少しでも恥ずかしくないお姉ちゃんになりたいな。


その後は新横浜まで行き、Twitterのフォロワーちゃんと待ち合わせ。
新横浜は人でごった返していて、その人の多さに、カップルの多さに、
妹の言葉が離れない私は安定剤をフラペチーノで流し込んだ。
遅れてすみません!と時間ぴったりに来た彼女はとても礼儀正しい。
サッカーを見に行く時も、ご飯を食べる時も、LINEでも、
私の話に耳を傾けてくれて、その時々で適格なアドバイスをくれる。
彼女の話す話は整理されていて論理的で、いいなあと思う。
背が小さくて、可愛くて、でも強くて、揺るがず自分を持っている。
私とは真逆だなあ、といつも一緒に歩いていて思う。

そんなことを思いながら会場に着き、スタンド前列の席だったので
期待していたステージの位置は真逆だったけれど、
桜井さんは相変わらず神だったし、これもこの場に居れることが幸せ。
昨日のシリア難民問題のニュースを見て真っ先に思い出したタガタメ、
同棲時代、最後の方に自尊心も精神状態もボロボロの状態で
現実から逃げるために毎晩ランニングしながリピートし続けたALIVE、
8年ぶりに生で聞く終わりなき旅は、もう問答無用で泣いた。
嗚咽をもらしながら思いっきり泣いた、なんて贅沢なデトックスだろう。


二大イベントが終わって、鬱屈とした気分にはなっていない。
最近言われた色んな人の言葉が頭をぐるぐるしているけど、
それらと上手く向き合って消化出来るように精一杯努力している。
今年はあと4か月、自分自身で実感出来る成長がしたいなと、
もう届いてしまった来年のほぼ日手帳(初のカズン)を眺める。
来年のカバーは青を基調にした紫陽花の柄、凛とした人になりたい。

このまま僕ら

何故私はこう、すぐ答えが出ないと気が済まないのだろうか。
あの幼馴染との疑似デートのあとディズニー後遺症な私は、
月曜日の夜LINEでバイト時代の友達2人にめちゃくちゃ相談し、
火曜日の夜は大学の友達に結構ガチな説教をされ、
昨日の夜はブラジリアンワックスの担当さんにも相談した。

皆口を揃えて言うことは、現在のふらふらしてる私は
「客観的に話を聞くだけなら面白い子」であり、
相手が誰にしろ真摯に向き合いたいのならば
まずは自分がしっかりし、それをちゃんと体現すべしとのこと。
良く言えば気まぐれ、悪く言えばいい加減で約束が守れない私に
今回の友人たちは容赦なかった、ありがとう皆、目が覚めたよ。


お疲れ、今度はUSJ連れて行ってね、と送ったLINEに
ええよーおいで、から3日間放置していた幼馴染の返信に
ハロウィンは混むからなー、クリスマスも混むしなー、
とテンポよくやり取りしていたら文字を打つのが面倒になり電話をかけ、
30分ほどの会話で2泊3日の大阪旅行が11月中旬に確定した。
ちなみに拠点は幼馴染の家で、土曜日に京都の祖父母の家巡り、日曜日USJ
月曜日は有給を取ってゆっくり帰ろう(そのために9月10月は働こう)

USJにはバイクの後ろに乗せて行ってくれるらしい。
10年前は自転車だった2人乗りがバイクに変身、時の流れは速い。
写真先輩たちに見せたら案の定めっちゃ距離近いって言われたわ、
あーこっちも同じような感じ、でも別に近づいたのはお互いでしょ、
と笑いながら何か意識してくれないかな、と密かな期待。