神様のヒマ潰し

The trick is living without an answer.

触りたい手

かれこれ1年近く前に前職の営業ちゃんに貸した
私の人生におけるバイブル漫画、ハチミツとクローバーが返ってきた。
久しぶりにページをめくるとはぐちゃんは下の妹より年下で、
私の二次元の理想の人No.1に君臨する野宮さんは同年代になっていた。
ちなみに2位はのだめカンタービレの千秋で、3位は潔く柔くの禄ちゃん。

私はどちらかと言うと激選した作品を長く愛するタイプで
小さいころから同じ本や漫画を何度も何度も読んでいる。
ハワイに行ったばかりで言葉がわからなかったころは
小学館の百科事典と人物事典100を何度も読み返して過去と繋がっていた。
小説では金城一紀の「GO」を映画も含めて自分を少し重ねて読み、
一家で好きな漫画のSLAM DUNKは誰かが読み始めると回覧が始まる。

そうすると当たり前だけど、自分は小説や漫画の登場人物の年齢を、
気が付いたらあっという間に通り越してしまっていた。
家と学校の往復が主な閉塞的な学校生活を送っていた私は、
青春漫画や小説におそらく通常の人より憧れを抱いていた。


文化祭、体育祭、買い出し、お花見、デート、クリスマス、夏祭り。
単位、レポート、進路相談、出会い、別れ、カラオケ、2人乗り。
四季の移り変わりがほとんど無いハワイで青春時代を過ごした私に、
日本の四季や、学校のイベントや、伝統行事は物理的に叶わない夢だった。

テスト、エッセイ、プロム、ドライブ、バレンタインのバラの花束。
ダンス、誕生日祝いの風船、誰かの家のパーティー、ランチ。
ロッカーの裏の写真、イヤーブックのサイン、夜更かししてかける電話。
ハワイの女子校で憧れたことはちょっと悪いことと、男の子たち。
これらも私が思い描いていたようなことは起こらないまま時は過ぎた。

月曜日に見た「ハッピーエンドが書けるまで」と言う映画で、
作家の父親が同じく作家志望の息子に
「作家は10代のうちに経験した感情や出来事で残りの人生の間
小説を書き続けられる、だからお前も好きな子に気持ちを伝えて人生を楽しめ」
というようなセリフがあって、ああ私は作家としては落第だな、と思った。


私が10代で自分で勝手に感じていたのは自分自身の意気地なさ、
ピエロにならないと周囲から注目してもらえないという、
自分自身が唯一無二のキャラクターになろうと編み出した滑稽な寂しさであり、
そのために言われて嫌なことでからかわれても笑ったし、
時には誰かに見つけてほしくて行事のお泊り会はだいたい逃げ出した。

結局私は一番こじらせていた昔よりは少しましになってきたけど、
自分は価値のない人間だという概念が心の奥底にある。
別に存在してもしてなくても同じじゃん、という思いが消えなくて、
28歳になった今でも、私がいなくなって悲しくなる人なんて親以外居るのかな、
と真剣に考える夜もあるし、遺品の処理や葬式で流す曲について
恋や結婚式で流したい曲以上に考えることの方が多いと思う。

今でも青春時代から好きだった小説や漫画を読むとき、
初めて読んだときに感じた気持ちや当時もやもやしていたことを思い出し、
「成長した読者」ってやつになれてないんじゃないかな、と考えるときもあるけど、
その中で新しい感情や価値観を発見した時、とてもとても嬉しい。
私、ぐだぐだだけど生きてきたことで新しい側面を発見出来る。


そしてさっき、ハチミツとクローバーの山田さんが1巻で森田さんに
なんで真山が好きなんだ?って聞かれて
「わかんないのよ もう ずっと好きで
でももうずっと悪い所しか浮かんでこなくて
でもっ 声とか聴きたいし 手とか触りたいって 思うんだもん」
という台詞を読み返した時に、彼の手は相変わらず綺麗なのかな、って思った。